場所中こそ書かなきゃいけない、とは思うものの・・・。
聴いてみると、とても優しい「実直な唄い方」で、
「放駒さんらしいな~」という感想。
雑誌協会所属の記者たちと、年に1回・初場所中に「理事長懇話会」がある。
放駒理事長最後の懇話会ということで、出席者多数。
最後だからか、ざっくばらんにいつもより長くお話をしてくださり、
出席者は感激しきりだった。
「雑誌の方々も仕事なのはわかるし、本当のことを書かれるならいいんです。相撲界ではここのところいろんな問題がありましたから、書かれるのは当然のこと。でも、あまりにも見出しがセンセーショナルだったり、明らかに『そんなことはあり得ない』という記事も多いんですよ。腹が立つこともあるくらいですねぇ(苦笑)」
なんて、率直な放駒親方。
放駒親方の広報部副部長時代には、取材方法が「勇み足」で叱られたりってことがあった花子・・・。
それでもそのお人柄が(陰ながら)大好きだった。
懇話会に出席していた雑誌協会幹部の方が、
「理事長、なかなかお礼を言う機会がなかったんですが、○年前の『世界雑誌協会』(だったっけか?)のイベントが日本であった時のことです。相撲協会が全面的に協力してくださったんですよね。曙や貴乃花などを、われわれのパーティに派遣してくださり、世界各国の関係者に本当に喜ばれたんです。その節は本当にありがとうございました。こうやって直接、最後にお礼を言える機会が持ててよかったです」
と切り出した。放駒親方は、
「いやいや、当時の理事長だった出羽海さんの決断ですから。私は広報部にいた時代。そのとおりにお伝えしただけですよ」
「いやいやいや、私どもは直接に理事長にお話ができない。間に入ってくださった放駒さんがいなかったら、成し得なかったことだと感謝しています」
く~。オトナの男同士っていいねぇ~。
「週刊新潮だったっけ?協会のスタッフと食事してるだけで写真を撮られちゃうんだもんな~。あれには参ったよ」
なんて話も、笑いながらフランクになさってたわ。
書く側・書かれる側としての、ある種「敵対」する立場でもあるから、
相撲協会と雑誌ジャーナリズムとの間には「緊張感」が常にある。
もちろんこれからもあるはずだ。
(「お気楽ライター」の花子は、この懇話会、毎回、出席するのを躊躇してたんですわ。なんだか「にらめっこ」してるみたいな雰囲気で怖いんだもん(笑))
時には訴訟合戦も。
協会にとっては「頭の痛い存在」かもしれない。
「両方の世界に脚を突っ込んでるから、両方の立場がわかるなぁ」と、
それぞれの発言に「うんうん」とうなづいて、
常に「コウモリ状態」でいる花子では・・・ある(笑)。
「おれ、昔、魁傑の大ファンだったんだよ~」
そして花子は、「モノズキ」なある方に頼まれていたので、
写真のようにCDジャケットにサインを戴いてきました(ずーずーしいよねぇ)。
もちろん放駒さんにも数枚、CDを進呈。(・・・「しろ!」と言われていたの)
「うわ~。よくこんなの探してきたねぇ・・・。髪の毛多かったなぁ、この頃は。恥ずかしいからちゃんと仕舞っておいてよね」
と苦笑なさっていました。(ここにUPしちゃってすみません!)
本当に「大相撲界の危機」の時期、理事長として踏ん張ってらした。
「在任中はホッとした時期がなかった。たまたま自分がそういう時期におったからしょうがないんですが。皆様には批判も受けたし、書かれたし。でも、なんとか続けてこられたというかね。少しではあるけれど、将来に向けての道筋はつけられたと思うし、やれることはやれたという思いはあります。(理事長の)任期が最初から決まってますから、なんでもかんでもってわけにはいかなかったけれど・・・」
ともおっしゃっていた。
言ってみれば、