14 Feb相撲界における「ガッツポーズ」について考えてみる。

朝青龍が、3場所ぶりに復帰した先の初場所。
「奇跡?の優勝」で、思わずガッツポーズをして。
一部で物議を醸していたのですが。
その後のYOUNG・キリンちゃんの大麻問題で吹っ飛んでしまって。
(ドルジ、やっぱりあなたは悪運の強いヤツだ。・・・たいしたもんだ)

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花子は、ある相撲専門誌の連載で、各界の相撲ファンの方々
(=いろんな立場の・・・老若男女関わらず、ね)
に、相撲界についての意見をうかがう機会が多い。

先日、ある大学の理事長さんが、

「あのガッツポーズ、なんだか自然に出ちゃった感じだよね。
まったく違和感なくて、かえって微笑ましい気もしましたよ。
あえて言うなら、問題にすべきは、初日の稀勢の里に対してのダメ押しですよ」

って。
なんだか、うなずけました。

相撲界では「勝って奢らず。負けて腐らず」で。
「負けてしまった相手の気持ちも察して、己を抑える」
・・・「抑制の美学」がよしとされ、美徳とされる。

確か、かな~り昔、逆鉾かなんかが小さくガッツポーズして叱られてた記憶があるが。
(定かではない、すみません)

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いつも相撲に詳しい&一家言持つ&ファンの方々は、
「古きよき伝統は残して、時代に合わせて相撲界も
変わっていかなければ」と、必ずといっていいほど、おっしゃるのよね。
一見、至極当然のような、聞き流してしまうようなご意見だけど。

考えさせられた。

「そうだなあ。あのドルジのガッツポーズ、少なくとも国技館の観客たちは
本当に喜んで、祝福しているように見えたな」って。

年配の相撲ファンの方々は、やはり朝青龍の言動は目に余るみたいね。
でも、若い層には結構、人気があるんですよね、ドルジって。

見る側の、大相撲に対しての「思い入れの違い」で。
年配の方々は「ヨコヅナのヒンカク」だの「国技としての威厳」だの、が
まず最初に頭にあるんだろうけど、
今の若い子は「スポーツ」「格闘技」として捉えているんだろうな。
「価値観」が違っているのさね。

だから。
朝青龍が、たとえばまた劇的な優勝をしたりした時。
今までのヨコヅナのように、無表情で静かに粛々と土俵を下りて・・・・・・。
そんな姿に、「さすがだ。立派だな~」などと、
今の時代の若者が「価値」を見い出せるのだろうか?
「美学」や意味なんてわかってないよ。

きっと、
「なんだよ? 勝っても負けても同じでさ~。
何考えてるかわかんねぇよー。それでも人間かよ~。つっまんねぇの」
って思うんだろうなぁ。
別に、相撲界側から周囲に・時代に迎合する、すり合わせるってぇ話じゃなくてね。

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確かに先人たちの、それぞれの「「横綱像」「横綱としてのあり方」は、本当に立派でした。
頭が下がる。
でも。

「古きよき伝統は守った上で、時代に合わせて・・・」という、
「進化」という意味では、

私は今回のドルジのガッツポーズは、
今の時代に合った「平成の大相撲」を象徴しているようで、許されると思うんだよな。

土俵の神様だって、
「ありゃりゃ。朝青龍クン。お前はなかなか面白い横綱だな~。今までにいなかったぞ」
って苦笑い・・・微笑ましく思っているんじゃないかなって思うのよ。

   あ。 原稿より長い文章、書いてしまった(笑)。

   ブログで一席ぶってる場合ではない。  お仕事しなけりゃ。あじゃぱー。