26 Aprすもうべやのかんばん。

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写真は2010年10月5日、元三重ノ海の「武蔵川部屋」の看板が、
「藤島部屋」に掛け替えられた時のもの。
今、3年前に書いた原稿の数々に加筆・訂正していて、
この時の原稿を、さっきたまたま読み直していた。

冒頭、こんな部分から始まっていた。

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「なんともいえない、寂しい気持ちだな」
陽気なハワイアンであるはずの元横綱・武蔵丸が、ささやくようにつぶやいた。
秋風がなかなか薫らず、猛暑の名残で汗ばむ日が続いた十月初旬のこと。
荒川区の下町にある武蔵川部屋の看板が、ひっそりと「藤島部屋」の看板に
掛け替えられたのだった。
稽古を終え、まわし姿のままの若い力士たちと一緒に、
かつての武蔵川部屋を牽引していた横綱は、その様子を静かに見守っていた。
(以下略)

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25日、各新聞などで取り上げられ、話題にもなったので、
「新・武蔵川部屋」の看板を目にしたヒトも多いだろう。
(だからあえてUPせず。それぞれ検索してみてね 笑)
「看板を掲げるだけ」なのに(部屋開きなどというセレモニーでなく)、
びっくりするほどの報道陣が集まった。(親方・おかみともに驚いていたわ)

「武蔵川」のこの3文字に対する、武蔵丸の思いの深さ…
それは、この写真の看板の下で、25年前、否応なく芽生えたのだ。

「自分のアイデンティティ」はこの3文字にこそある。
少年期を経て18歳で海を渡り、この3文字のもとに「ひとりの男の人生」がはじまったのだ。

新しい看板制作にあたり、新師匠となった武蔵丸は何度もダメ出しをし、拘ったという。

それはひとえに「思い入れ」があるから。妥協したくないから。
この3文字にだけは、ね。

「ひとりの男の人生」が、また新たに始まる。
布団にひとりくるまって泣いていた、あの頃とは違う。

今度の船出は「ひとり」じゃない。

可愛い弟子たちと、最愛のおかみさんとともに、一緒に。
あなたが歩んできた道を今まで見守ってくれていた、たくさんの人と一緒だ。

そして、この古い「武蔵川部屋」の看板の文字を、
時には懐かしく想い出して、みなと語って伝えていこう。