27 Apr土俵外の、花子の師匠。

「御霊前」の不祝儀袋を買い、喪服を出した。
明日は、相撲協会世話人の「王湖」さんのお通夜だ。

思い起こせば、このシゴトを始めてから20数年、初めて会話をしたのが王湖さんである。
気分屋さんで少々気むずかしいところもあり、「毀誉褒貶」あるのは承知している。
「THE・相撲界」を、そのまま体現してもいたような御仁だから。
「祥子、今日ヒマか~?」
と言われ、毎場所、1回は酒を飲んでいた。もつ焼きやホルモンばっかり。
酔っ払うといっつも鼻水垂らしちゃって、寝ちゃって。
飽きるとさっさと先に帰り、置いてかれちゃう。

場所中はほとんど毎日、王湖さんのいる木戸で、ウダウダ一緒にコーヒーを飲んで、
パチンコの話ばかりしていたな。
病院にお見舞いに行った時。
ちょっとお金を包んで、500円の小さなブーケも持っていったことがある。
「おい、待て待て! 祥子から見舞金なんてもらえねぇよぉ! おまえもえらくなったなぁ~。気持ちだけでいい。こっちの花だけもらっとくな。ありがとよ」
って突き返された。
その後、「見舞いに来やがってよぅ。よし、飲みに連れてってやるか!」
なんて、地方場所でメチャ高級なお店に連れてってくれたことがある。
(……支払いはタニマチ? 笑)

肩肘を精一杯張って、相撲界でシゴトを始めた頃。
若さゆえ、変に生真面目で「一般常識」に凝り固まり、
頑なだったあの頃のあたし。

なんとなく、ずっと王湖さんとつかず離れずで、
傍で「土俵外の相撲界」を学ばせてもらってた気もする。
あの王湖さんをあしらえるように…と言っては失礼だな。
彼という人間を受け入れられ、
「なんだか楽しく、うまく付き合えるようになっていった」自分の成長を、
王湖さんに見るのだ。生意気ながら。

相撲界に関わるみんなが、「花子」と私を呼ぶなか。
ずっと「祥子」と本名で呼んでいてくれたひとりが、王湖さんだった。

大鵬さんが亡くなっても涙は出なかったのに、
王湖さんの訃報を耳にした夜は、 知らず知らずのうちに
なぜか涙が流れ出ていた。