05 May大横綱。

「2,3日で退院するが、入院先でもよかったら、おいでなさい」。

お見舞いがてら、かつての大横綱にインタビューに行く。
普通、入院先で弱った自分など、見られたくないというのが人間だろう、
男だろう、と勝手に思っていた。

さすがは大横綱。

違うのだ。

周囲の遠慮、同情など必要ない。
いつでも取り繕うことなく、そのままの今の、自分のあるべき姿で闘っているのだろう。

昨日、昔から大横綱を知る、ある店のご主人もそう言っていた。

「自分を卑下しないし、へりくだったりしない人なんだよな。
普通は、謙虚に『いやいや、自分なんて』などと言ったりすることあるでしょ。
あの人はそれはしないんだ。威張っている、尊大、というのとまた違ってね・・・」
「なるほど。自分に確固たる自信があるのでしょうかね」
「そう思いますよ。若い頃に倒れられて、以来ずっと不自由なその姿で今まで来てね。
でも自分のやってきたこと、生き方に恥ずべきものはないんでしょうね」

ふむ。

帰りに寄った天下一品水道橋店で。
以前、大横綱直伝のちゃんこ鍋を取材した記事が載ってる、
古い「Number」をめくりながら、私はこってりをすすっていた。
王監督のインタビューページを何気なく読んでいると。

「王の言葉にはいつもプライドがほとばしる。
大きな人は自分を大きく見せようとする必要がないし、小さく見せようともしない。
虚勢の欠片もない。それでいて必要以上に謙虚に振舞うこともない。
ありのままの自分を受け入れてさらけ出す。それは、揺らぐことのない自信が土台になっているからだ」

と王監督をよく知るライターさんが書いていた。

  ドンピシャ。よりによってこの言葉を今日、見つけるなんて。

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病室でのこの日、大横綱は、かなりお疲れでもいらっしゃった。
弱弱しい声、1時間起きていられず、「失礼。横になるよ」。
お姉さまや姪っ子さん、娘さんもいて賑やかだったが、
皆さんが帰り、見送りに行ったおかみさんが戻るのを、しばらく待っていた。

小さな個室で、かつての大横綱と私とふたりきり、
静かな時間が流れ、ポツリポツリと世間話をする。
今の相撲界を憂いてもいた。

「・・・うちの娘もねぇ。本当に・・・」
「明るくていいお嬢さんじゃないですか」
「どうしたもんかねぇ・・・」
「私の父も、親方と同じ年の生まれなんですよ」
「ほう」
「私は4人きょうだいで、娘3人なんです。いつまでも父に心配掛けてますわ」
「ふふ。そういうもんかいね」

  古い、お世辞にもキレイとは言えない病室で、
  ベッドに横たわったかつての大横綱と、夕暮れを迎えた。
  
  なんだか、ふと父と娘が話してるような錯覚も覚えた。

  今日のあの空気・・・空間を、私は一生、忘れないだろう。