23 Jul7月の蝉・・・お久しぶりのブログ。

ueno

ご心配お掛けしていた方もいるようで。
スミマセン、7月末・8月末刊行の書籍があり、ブログ更新する気力と体力がなく。
どうにか目処もつき、やっと「仮釈放」状態です。
名古屋にも、あれこれ話題を拾い、往復して行って来ました。
書きたいネタばかりでしたが、そこは原稿優先で。く~っ!

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今日、親戚の伯父の告別式に。
血は直接、繋がってはいない。
シブイ、学術書関係の小さな出版社をやっている伯父だった。

葬儀委員長や、喪主である伯母の挨拶のなかで、
「こんな人生を送っていたヒトだったのか」
と初めて知った。
「子どもはいなかったけれど、オタクの走りのように、
沖縄文化や南島民族に拘った本ばかり出版してたんだ。
その1冊1冊のすべてが、伯父夫妻にとっては『大事な子ども』だったのだな」
と思えて涙が出た。
もっと話ができたのに。今のあたしだったら。
疎遠になっていたのを、今、悔やむ。

そして。
南海キャンディーズのしずちゃんのボクシングコーチだった、
梅津トレーナーの訃報が。
この方は、お互いにナニモノでもなかった、ごく若い頃からの知り合いで、これまた疎遠になっていた。
たまたましずちゃん関連の番組で、
「あ、梅津さん、頑張ってるなー」なんて思っていたけれど。
2年前に、久しぶりに年賀状が来ていた。
花子の旧住所からどうにか転送されて来て。
「嗚呼、これだけの期間、音信不通の不義理をしていたんだな」
と思えた。
小さな男の子を肩車している、とても素敵な笑顔の年賀状だった。
「結婚したんです。息子も生まれました。元気にしてますか」
と書かれていた。
ここ数年は、年賀状を書かず、頂いても返事さえ書かないという「非人間的」な花子だった。
そのうち連絡してみよう、なんて思っていたけれど。
ナニゴトも思うだけじゃダメなんだ。伝えなければ、と。
当たり前ながらそう思う。

時間は、あるようで、ない。

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写真は、上野寛永寺からの告別式の帰り。
上野の森の蝉の声がうるさいくらいに響くなか、
大勢の修学旅行生たちがはしゃぎながら、
ときに地図を片手に迷いながら歩いていた。

「どっち? こっち?」
「アメ横、まだなの~。あきらめよっか」
「もう歩きたくないよ-」

彼女たちの会話が、
まるで「人生」そのままじゃないか、と思えた。
その足取りは、あたしには夏の日差しより眩しい「生」でもあった。

それでも。

  今を盛りと鳴く蝉も、七日目にはその「生」を終える。