22 Aug大好きだった元若三杉…間垣部屋について思うこと。

今回の若ノ鵬の件、本当に残念。
もちろん、「親代わりである師匠」の責任も重大です。

昨年だか、脳出血で倒れて車椅子状態だった親方。
協会理事として大阪担当部長してたけど、やはり見ていて痛々しかった…。

私は、まず子供の頃、唯一「美男力士=若三杉」の大ファンだった。
今でも、「昔からお相撲が好きだったんですか?」などと、
たまにインタビューされる機会があると、
間垣親方=二代目若乃花=元若三杉のファンだった、と
名前を出すほどである。
この仕事を始めたばかりの頃、
ある人の紹介で間垣部屋に連れて行っていただいた。
ドキドキ…。
部屋の前の縁台に座り、元美男力士・若三杉は、
思いっきり鼻くそをほじっていた。

…本当にショックだった。
これ、今でもあちこちで話してるくらいで(笑)。

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今年2月の理事選で「勇退すればかっこいいのにな」と思っていたのだが。
「なんであそこまで地位に固執するのだろう」って、周囲にチラホラと言われてもいた。
相撲界改革を目論んだ(いい意味で開かれた相撲界を目指す)出羽海理事長時代は、
反対勢力の急先鋒でバリバリの親方だったなあ。
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先代二子山親方(初代若ノ花)の娘と一度は結婚したが、
離婚して、長年交際していた銀座のクラブのママと再婚。
(元「姫」の人)。ある面「純愛」を貫いたのね。
当時を知るある親方など、

「巡業先によく来てたんだ。当時珍しいルイ・ヴィトンのバッグ下げて、
本当に目を見張るほど綺麗な人だったよ」

って。
結婚しても先代になかなか独立を許されず、ママは(=おかみさんね)、

「私が間垣を男にしてやりたい。彼に部屋を持たせるためなら、私はなんでもする」
と泣いていたのだそうだ。
店も売って、何もかも捨てて好きな男に尽くしたおかみさん。

部屋の事務所にいつも化粧っけのない顔で詰めていて、
とても「元銀座ママ」には見えない格好で、本当に頑張っていらっしゃったわ。

新米記者が、
「あのオバハン誰ですか?」
「誰ですかって、おかみさんよ!」
「え? だって元銀座の・・・あの人が?」
「今は面影無いけど、そーなのよー」。

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酒乱のうわさを立てられてしまったおかみさんだけど、
確かにそういわれてしまってもしょうがない場面が何度もあった。
花子も、かつて両国の寿司屋でよく見かけたけど…。
でも。
普段お話すると、男を立てて裏方に徹することができ、
すっごく気が利く尊敬すべき女性だな、と思ってもいた。
じゃなきゃ、銀座でママなんて張ってないよね。

  そのおかみさんも、3年ほど前に亡くなった。

詳しくは書けないけれど(モゴモゴ)、一言で言うならば、

「女の業」の塊のような人だったのか、とも思う。
花子も、この年になったからこそ、わかる部分がある。

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もう十数年前。
私はおかみさんに「女の人生」(仮)じゃないけれど、
本当にお話をいろいろ聞きたくて、迷惑顔されても、何度も何度も部屋に通っていたのだ。
(今考えると、すごい情熱だったわよ、花子)。

おかみさん亡き後、一人娘(確かまだ20歳くらい?)が、
おかみさん代わりであれこれ仕切っていたらしいけれど。
「若き独身おかみさん」なんて感じで取材したいな~とのんきに考えていた矢先。
こんな事件が。

 あのおかみが、もし生きていたら、どうだったかな…
 ふと、おかみを思い出した花子でした。

  私も当時は若くて「顔」じゃなかったけれど。

  懐に飛び込んで、一緒に酒を飲んでみたかった。女同士。