16 Jan今はもう書けない名文。

大好きな親方だったな。

友人が古書店で探してきた、昭和47年発行のグラビア誌「太陽」。
大相撲特集号で、あの大鵬さんが「親方1年生」なんて載ってるの。
すごく懐かしい(知ってる人たちの若い頃の写真がたくさん)。

たぶん、初めて相撲を見たような、編集部所属の記者さんが記事を書いたのだろうなぁ。
署名がないから。
ごれがまた、「相撲の原点」「魅力」をそのまんま、
ストレートに伝えている素晴らしい文章だった。

以下。

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人間の肉体はこれほどまでに丈夫にできているのだろうか。
投げ飛ばされ、はじき返され、土俵の上にもんどりうち、羽目板に激しくぶつかる。
それでもまた起き上がって兄弟子の胸に飛び込んでゆく。

出世のためには勝たねばならない。
勝つためには一にも二にもただがむしゃらに稽古を積むだけである。
勝つことへの執念だけが、この肉体を支えている。
取的の稽古にはそうした悲痛がつきまとう。
そしてその悲痛を乗り越えた時、彼の肉体はより強靭に鍛え上げられてゆく。
稽古場の朝は早い。「おっつけろ」「足を前に出せ」「止まるな」「腰が高い」
親方の叱声がとび、竹刀で気合いを入れる。
稽古場に漂う殺気は、この世界を知らないものには身の縮む思いがする。
白い稽古まわしの関取が姿を見せ、何番も何番も申し合いを重ねる頃、
稽古場の熱気は最高潮に達する。
そしてぶつかり稽古、てっぽうと、まるでわが身を痛めつけようとするかのようなその様は、
もはやスポーツの域を越え、修験者の姿をそこに見る。
実力以外の何ものも入り込む余地のない、
相撲道の厳しさがひしひしと伝わってくるのである。

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私が初めて相撲の稽古を見て、その衝撃に身じろぎできず、
また「虜」になり、
「この世界を書いていきたい」
と思うに至る、若かりし頃を思い出した。

それは奇しくもこの「太陽」の表紙の、故貴ノ花・旧藤島部屋での稽古風景。

      
  いや、本当に名文だ。(横書きにすると違和感あるけど)今の私には・・・もう書けない。

       (知りすぎたオンナ (笑))