30 Julライターというより、ひとりの女として。人間として。

今日は鳴戸部屋のおかみさんの取材だった—-。

昨年11月の九州場所前のこと。当時、ちゃんこの取材のお約束があり、
私はカメラマンや編集者より一足早くすでに九州入りしていた。
ちょうど某週刊誌の記事が出て、どうやらてんやわんやだったのだろう。
おかみさんから申し訳なさそうに「取材延期」の電話が入った。

この状況じゃやむを得ないな、と納得。
編集者・カメラマンがまだ九州入りしていなかったのが不幸中の幸いでもあった。

ご存知のとおり、場所前に親方が急逝された。
そしてこの場所で、稀勢の里が大関昇進を決める。
その心中や多忙さを察しながらも、
「延期したちゃんこ取材」のリスケで何度かお電話したりする機会があった。

当然ながら、直後のおかみさんは本当にお声が暗く、細く、力なかった気がする。
1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月・・・ことあるごとに電話するなか、気がついた。

だんだんと電話の向こうのおかみさんの声が、
そのトーンが少しずつ変わっていくのだった。
「明るい」とは言わないまでも、「生気」のある声になっていく。
「時薬・・・時間が一番の薬」とはよく言ったものだ。

それまでも、おかみさんのお顔を見てご挨拶する機会は何度もあった。
いつもくるくる・キビキビと忙しそうに立ち働く姿しか目にしなかった気がする。

今日、やっとおかみさんと1対1で対峙し、親方の想い出話を伺うことができた。
透明感のあるすっぴんのお顔で、
時折見せる笑顔が本当に素敵で、キレイだった。

初めて「この一女性」の笑顔を見たように思う。

オオキナモノを乗り越え、ナニカヲ吹っ切り、
やっと笑えるようになった・・・そんな笑顔はただそれだけでキレイなんだな、
と思えた日。よっしゃ。いい原稿、書いたるでぇ。

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過日、以上のような日記を個人的に書いていたんだけれど。

「ありがとうございました。掲載誌50冊も買っちゃって名古屋でも東京でも、あちこち配っちゃったんですよ」
と、今日、おかみさんからお電話が。明るいお声で、なんだかこちらまでうれしくなった。

「まぁ。そんなに? こちらこそ、書かせていただいてありがとうございました!」

と言える仕事は、気持ちいい。
「書かれる人=取材対象者」「書く人=花子」「それを読んだ読者」。
三者三様がそれぞれに喜べるのが理想。 

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ひとりの人間を考えてみても、「多面的要素」がある。
見る人によって、そのヒトの印象や「評価」は変わるのが当然。

たとえばある人物に、「プラス」部分と「マイナス」部分があるとする。
(って誰でもそうだけど)

週刊誌のスキャンダル記事って「マイナス部分」だけ抽出して書くことが多い。
それはけして嘘ではないのよね。
「プラス」の部分はあえて書かないだけで。

花子は逆かもしれない。
「マイナス部分」はとりあえず置いといて。
「私はこの目で見ました。この耳で聞きました。こんな部分もあるんですよ~? みんな知ってた?」

という感じで「拾う」んだな。
で、ここぞとばかりに「強調」する。
バランス無視。主観だけ(笑)。

だって嘘ではないんだもん。
テレビ業界で「やらせ」か「捏造」かってよく問題になるけれど、 やらせでも捏造でもないのよね。

「どこを切り取るか、捨てるか」だけなんだよな。

「きれいごとだけ書きやがって」
「提灯記事ばっかり」 
なんて言われることもあるけどさ。

新聞記事のように「事実関係をきっちり遺漏なく書かなければいけない仕事」ではないのだった。

いいのよね、きっとそれで。それが花子の役目だものー。 
・・・と思うようになった。 「キモチイイコトダケ シタイノヨ」。
人間だもの。うふふ。

  ・・・ということで「オール讀物」8月号発売中です。これ。

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      いろんな思い、書ききれなかったけれど。